自称元貴族、オット違った「浮世の今一希族
ヒト呼んで "
Maqqn de Pourquoi"et 「ナゼ?のマッ君
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世間話・浮世噺
第11話 浮世絵春画を利用した八面総絵柄の護美箱シリーズ


八面総春画の護美箱(第2回)



 江戸時代には世界に誇る木版の春画を創作しながら表向きはシャイなのか大英博物館が春画展を開催しているにもかかわらず、日本の国立博物館での開催は二の足を踏んでいます。日本の人々は創意工夫して言葉遊びで「スルメ」をアタリメ、「終わり」をオヒラキ、「塵箱」を護美箱と呼んでマイナスをプラスに変換するプラス志向の努力をしています。
 国立博物館で遣らないのであればマイホームで公開してはどうだろうか。「浮世絵パソコン画廊」の春画集の画像をパソコンでコピーし、コンビニでレーザーカラーコピーすれば糊の水分に耐える絵になり、手作り段ボール箱に張り付けて出来上がり、Do it yourself!



好色圖會十二候 絵師:勝川春潮 摺本:国際日本文化センター蔵

繪本笑い上戸(曲茶臼) 絵師:喜多川歌麿 

【勝川春潮
 鈴木春信風の画風から脱皮した絵師に勝川春章、磯田湖龍齋や北尾重政がいる。林美一氏によれば勝川春章は、鈴木春信の師西川祐信の隠し子で、父祐信に師事した鈴木春信を兄のように慕って共に江戸にやってきて、春章は宮川長春の弟子春水の門下生となる。
 鈴木春信の死後、勝川春章は性器のリアルな描写でヨーロッパにも知られ、門弟には葛飾北斎、勝川春潮らがいる。ここに載せた「好色圖會十二候」は、書き入れの変体仮名を現代語に直し、夫婦の局部をコラージュしてある。
【歌麿の号】

 喜多川歌麿は、元服前の号「少年石要」があり、狩野派絵師の鳥山石燕から授かった「豊章」の他に「忍岡歌麿」や「北川歌麿」などを使用した。少年石要(14歳頃)の号から逆算すると、彼の生誕年が宝暦6年(1756)になり、歿年1806年との差から推して50歳の若さで没した勘定になる。
明和7年(1770):少年石要(元服前の14歳)
安永4~9年(1775~1780):北川豊章
天明元年(1781):うた麿、哥麿、忍岡歌麿
天明3年(1783):うた麿舎石要

天明6年(1786):鳥山豊章、歌麿豊章
寛政元年(1789):喜多川歌麿

  当時48歳の鳥山石燕が4歳の勇助(北川市太郎改め)を引き取って養育し、俳諧江戸座の宗匠東柳窓燕志一派の重鎮でもあった石燕家の絵師の一人として、燕志の歳旦帖に14歳の勇助が「石要」の号で挿絵を載せるまでに描画技量を研鑽させ、天性の才能を開花させたに違いなく、後に富本節浄瑠璃の家元初代富本豊前太夫に目をかけられ、また版元の蔦屋重三郎が起用した新人勇助に彼の兄弟子志水燕十作の黄表紙本「身貌大通神略縁起」の挿絵制作を担当させ、「忍岡歌麿」の号で天明元年(1781)にデビューさせた。
 歌麿の号は、蔦重こと丸山柯理、通称重三郎が江戸新吉原の「喜多川氏蔦屋」の養子になったことに因む姓「喜多川」を使用させたとの説がある。勇助幼少時の姓「北川」の読みと一致するのも奇遇だ。
 因みに重三郎の出生地が新吉原と言うことから同じ町内の「蔦屋」の養子になった蔦重は、安永初年に新吉原大門五十軒道に本屋耕書堂を開業し、「吉原細見」(遊女屋や女郎の名前などを詳しく記したガイドブック)を販売、安永三年にはその版元になるほかに富本節浄瑠璃正本の版元となる。また、黄表紙・洒落本・狂歌本・錦絵などを刊行し、有力地本問屋となる。太田南畝・戀川春町・朋誠堂喜三二(秋田藩佐竹家の江戸留守居役平澤平格)・山東京伝など一流作家の作品を刊行し、喜多川歌麿を庇護して大成させた名プロデューサーと言える


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